野蒜築港跡
閉店される善谷さんからの帰路、国道45号線に大きく標識がある野蒜港跡に寄りました。明治時代にここに近代港湾の建設をおこなったが、断念・放棄された場所で、現在は、わずかな遺構と記念碑が残っているのみとなっています。未完の幻の港跡地。
もし、建設に成功していたら、ここが横浜港のような日本を代表する港で宮城県の中心は仙台ではなく、野蒜だったかもしれないとも言われています。
仙台方面からも、石巻方面からも、大きく標識があります。画像は仙台方面からの案内標識です。ファミリーマートと対面の薬王堂が目印です。国道から脇道に入ると狭い住宅地を抜けて海岸方面へ行きますが案内標識は何もありません。GoogleMapでは、鳴瀬川河口付近の「野蒜築港跡碑」(D)が表示されるため、こちらをナビの目的地設定すれば到達できます。
道は広くないのですが、見通しはよく、路肩に止めて都度位置確認も可能な場所でした。
外部リンク:野蒜築港ファンクラブ
野蒜築港ファンクラブ様のサイトより地図を拝借して主要な石碑、遺構の場所を整理します。ここは震災の被害も甚大だった地域で、港の歴史から、震災被害まで、野蒜築港ファンクラブ様のHPで整理されていますので、是非参考にされてみてください。
まずは、Aの場所「新鳴瀬川架橋レンガ橋台(上の橋)」です。
いかにも明治期らしいレンガ造りの土台が残っています。路肩スペースが有るため、車を止めることが可能です。このほか北上運河に向かって、中の橋、下の橋として、土台が残されているようです(今回は未確認)。
次は、Bの場所。ここに、案内があります。
ここには、案内とともに、記念碑と功労碑、土木と刻印のある石のローラーが設置されています。設置場所パッと見わかりにくいので特定の参考に45号線から入ってくるとみえる遠景からの裏側の様子も参考に載せておきます。
案内によるとこの場所が明治時代は市街地でその中心部であったとのこと。歴史とはわからないものです。ちなみに、ここも路肩スペースがありますので車駐車可能です。
次は、Cの場所です。
東北地方初の野蒜測候所跡の石碑とレンガ遺構です。震災の影響や、自衛隊の航空機の進入路にあたり、防衛省管理地もあるため、周囲はほぼ何もありません。このエリアは、矢本の航空自衛隊の松島基地至近のため、頭上を自衛隊の戦闘機が結構な頻度で海側から旋回して降下していきます。
最後にDの場所です。
震災後に建設された防潮堤の角に移設された野蒜築港跡の碑があります。震災前の様子は、野蒜築港ファンクラブ様のHPでみることができます。
野蒜築港跡の碑の防潮堤の下には、簡易な東屋が設置されています。説明書きによると、インドネシアからの漁業留学に来た方が、防潮堤を利用したサイクリングでの地域活性化の提案を行い、地域の有志の方が、東松島市の市有地の貸与を受けて設置したとのことです。
外部リンク:一般社団法人東松島みらいとし機構(HOPE) インドネシア バンダ・アチェ市との相互復興 ~浜市ビーチプロジェクト~
こちらのリンクによると、画像の自転車は放置車両ではなくレンタサイクルのようですが、もはや管理されているようには見えず、利用案内もありません。
ちなみに、この東屋の横には駐車スペースがあります。車を駐車して散策がてら徒歩で周ることが可能ですし、車だけで主要部を周遊することも可能です。鳴瀬川対岸には、旧野蒜駅遺構あり、その先宮古島には、大高山・嵯峨渓遊歩道その他秘境スポット満載ゆえ、見逃せないエリアです。少しずつ訪問していきたいと思います。
最後まで御覧いただきありがとうございました。
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